長さんは画家でした。
真っ白な髭をなが~く伸ばして、訪問する度に定規で測らさせてもらってた。最長32cm。
白内障で濁った瞳は、何故か全てを見透かしているように見えた。
もうすぐ100歳なのに凄く色っぽくて、指輪して、ネックレスして、豹柄のフリースなんか着てた。車イスでリハビリに行くときは、ベレー帽に爪先の尖った靴はいて。
イケてる仙人…という感じ。
「恥ずかしいよ」と、下の世話をさせることも見せることもほとんどせず、若い男の子のような人だった。
古い長屋に住んでいて、トイレまでぶち抜きのワンルームにして、片麻痺で車いす生活だけど一人暮らししていた。
誰もサービスに入らない日もあるくらい、自立した一人暮らしをしていた。
長さんは画家でした。
訪問すると、よく車イスに座ってスライドテーブルに画用紙置いて色鉛筆で絵を描いていた。
「色鉛筆なら自分で片付けられるからな」
部屋には昔描いた水彩画の和装女性が飾られていた。
鉛筆だけで描いた絵もあって、コピーしてデイサービスで塗り絵として使われていた。
描くのは和装の男女がほとんど。着物の柄やシワが絶妙だった。で、ちょっと漫画チック。

部屋に飾ってある絵と今描いている絵の画風は明らかに違っていた。
長さんの麻痺は右。
「右利きだったの?」
「そうだな」
「絵描きで利き手やられちゃったんだ」
「そうだな。ま、使えないもんは仕方ねぇから左で描いたら案外描けた。描けりゃいいんだよ。もう商売してねぇし。」
何も気負ってない言い方だった。
長さんは画家でした。
ある日「そこにあるヤツ、見てみな」と言われた。
スクラップブックだった。
白黒の写真が少し、新聞や雑誌の切り抜きが少し、そしておびただしい数の長さんの絵。
進駐軍と撮った戦後の写真。髭の色が黒いだけで今とほとんど変わらない風貌の長さんが写っていて、大ウケした。
切り抜きは長さんが取り上げられているものだった。
「長さん、売れてたんだ」
「そうでもねぇよ。稀少価値だよ。」
長さんの絵は…100%、いわゆる春画…危絵…?そういうやつ。聞くと、そっち系の小説の挿し絵を生業としていたらしい。
超リアル。まぐわって、着乱れて、縄だの布だの道具だの…
「う…うまい…。これ、モデルとか見て描くの?」
「なんもねぇよ。想像。」
「想像しまくりだね。これとか、スゴい。めっちゃ格好いい。」
「あんたなら狼狽えないと思った」
長さんは画家でした。
6人兄弟の末っ子。歳が離れていて、まるで一人っ子のようだったらしい。
父親はお堅い仕事をしていた。
母親はとても美人でお洒落な女性。ちょっと浮世離れしている感じだったと。
「長さん、お母さんに似たんだね」
「あぁ、よく言われた」
着物を上手に着崩して、しゃなりしゃなりと銀座をぶらつく母の白いうなじを見て、子供心にドギマギしながら離れて歩いたと。
その母が弱り、床に伏すようになったとき、年の離れた末っ子の長さんがずっと一緒にいた。
薄い布団で高枕を愛用していた母。床に伏す姿も気高く美しかったと教えてくれた。
最期の夜。隣で寝ていた長さんがふと横を見ると、白くキメの細かい母の肌、目許に綺麗な涙の雫が溜まっていた。
余りの美しさに見入っていると、雫がつーっと頬を伝った。
その時どうしてか「あぁ、今逝ったなぁ」と思ったらしい。
「この歳になってもあの光景が忘れられない」
長さんはいつも、情景がありありと浮かんでくる話し方をしてくれた。
長さんは画家でした。
私の名前を覚えているのに、名前で呼ばれたことは一度もなかった。
訪問すると「お、威勢の良いチビが来たな」と笑ってくれた。
転倒で受傷したとき、処置したら「ほんとに看護師だったんだ」と感心された。
私が看護師だと信じてから、死について話すことが多くなった。
「死ぬってどんな感じかな?」
「苦しかったりすんのかな?」
「ここで死にたいけど、梅雨時はやめとこう。臭いだろ?夏もダメだな…じゃぁまだあと数ヶ月は頑張らなきゃな。」
そんな話を数年繰り返した。
「死んだことないから偉そうなこと言えないけど、沢山の死に際に立ち合ってきて思うんだ。たぶん注意深い人は、ちゃんと自分の死ぬときがわかるよ。何となくわかるよ。そしてその時、恐怖に襲われたりしてなかったよ。」
「へぇ。そうか。俺も仙人みたいだからわかるかもな。」
それからは、退室時の合い言葉が「死ぬときは電話してね、会いに来るから。」
「おぉ、注意深くな。」になった。
長さんは画家でした。
数日前から鼻風邪を引いていた。
デイサービスでスタッフが入浴に躊躇して、電話がかかってきた。
たまたまデイの近くを回っていたので「ちょっと寄るよ」と返事して向かった。
鼻声で咳が少し。でも熱はなかった。
「風邪治ってないね。辛くないの?入ったら凄い疲れるかもよ。」
「でも入りたいんだよな。サッパリするだろ?ダメか?」
「…そうだねぇ…ダメじゃないよ。風呂入るのは自由だよ。でも回りが心配するから、調子おかしかったらすぐ伝えて。我慢しないで。注意深くね(笑)」
「注意深くな。サンキュ。」
数日後、高熱を出して長さんは入院した。肺炎だった。
一時は退院の話もでるくらい回復したけど、もたなかった。
(状態が悪いしボケちゃって話が通じなくなってきた)
そう聞いて病院に会いにいった。
酸素しながら私の顔を見て笑った。
「電話したから会いに来たんだろ?」
その一言以外は話さなかった。
笑ってうなずいていた。
「そうだよ」
左手で力強く握手してくれた。
白く濁った瞳は、全てを見透かしている気がした。
注意深く…。
しばらくして、長さんには会えなくなった。
電話はかかってこなかった。

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