訪問看護1年目。
気管切開をしていて声が出せない人のために作られた、スピーチカニューレという器具を使っているおじいちゃんのお宅に訪問をしていた。
ふさふさの白ひげにもじゃもじゃの白髪。ずんぐりむっくりした大きな体。腰を上げてゆっくり歩く。らくだのももひきにHanesのよれよれTシャツ。半開きのとても穏やかな優しい眼。
(ビッグフットが年取ったらこんな感じかなぁ…)と思ってた。
奥さんと娘さんと孫の4人暮らし。
訪問は午前中で、仕事や学校がある娘と孫には会ったことがなかった。
室内は段ボールやらプラスチックケースやらが積み上げられており雪崩のように所々崩れているため、毎回座る場所を確保することから始めた。
おじいちゃんの部屋は一番奥の4畳半。折り畳みベッドとタンスとポータブルトイレ。尿意が曖昧なおじいちゃんは常に失禁していた。
ベッドは失禁でへこみができ、ポータブルトイレの周りの畳は腐敗。
陽当たりが悪く窓の前には物が積み上げられているため、窓を開けるのもひとしごと。
「臭くて申し訳ないから」と、処置は居間でやった。もちろん居間も物だらけ。尿臭も家全体に広がっていたのでどこでやっても大差ない。でも、夫婦の精一杯のおもてなしだったんだと思う。
片付けられない家はよくある。
だけどどうしてこう、毎回雪崩がおきているのか。
襖は破れるどころか真っ二つに折れている。天袋までボロボロ。窓ガラスにはヒビが…。
夫婦はまるで物の中に埋もれているみたいだった。
どうしてだろう…。
夏休みが近付いたある日。訪問中に孫が帰ってきた。
小学一年生の男の子。
とてもかわいい顔をしていて、人懐っこい。ちょっと言葉が聞き取りづらく、1年生だけどランドセルはボロボロの元気いっぱいの男の子。・・・元気すぎた。
「ただ~まっ!!あっ、おねーちゃんだ!!」(当時私は20代)
初対面でダイビングしてきてハグハグ。荷物の山にランドセルを放り投げ、段ボールの上に渡してある物干し竿に鉄棒なみの扱いでぶら下がり・・・雪崩発生。
あっという間に荷物の下敷きになった私の顔をのぞき込み
「どっ⁉すごお⁉おね~ちゃん、だれ⁉」
私の疑問はあっという間に解消された。
孫は処置中も「じ~ちゃ!!痛くない⁉だ~じょぶ⁉」と、盛んに話しかけつつもあっちからこっちへと飛び回り次々に破壊していく。
合間にお婆ちゃんの肩もみ(もどき)。
「じ~ちゃ、大好き!!」と、カニューレ交換中にチューもしてくる。
おじいちゃん大好きな孫は失禁でへこんだ小さな折り畳みベッドで毎晩添い寝するらしい。おじいちゃんが一人で寝るのは可哀想だと。夜中トイレに起きると手を貸してくれ、ポータブルトイレの片づけ(尿の入ったバケツをトイレに捨てに行く)も孫がやってくれる。ただし2回に1回は失敗。
普通学級に通う孫は、体に染みついたおじいちゃんの尿臭で「くせぇ、あっち行け」とクラスメイトから仲間外れにされていると、担任から電話が来たと教えてくれた。
「頭が弱い子だっていうのはわかってるの。どうにかしなくちゃいけないんだろうけどね。娘は家族のために働いてるし、私がもっとあれこれ出来ればいいんだけどなかなかね。」
「小便が上手くできれば迷惑かけなくて済むんだけど、できねぇんだ。ほんとに可愛くて優しい子なんだよ。」
お爺ちゃんもお婆ちゃんも、切なそうに笑いながら愛する孫を見つめて話してくれた。
どれかひとつだけが問題という訳じゃないし、誰が悪い訳でもない。色んなことが絡まりあって出来上がっている世界。
でも、こんなに愛のあふれた生活は見たことがなかった。
段ボールもあふれてたけど、それよりたくさんの愛があふれた空間だった。
まぶしかった。
当時の私には、ハグが大好きな男の子をぎゅっと抱きしめることしか出来なかった。
新米でスキルも何も持ち合わせていない、処置しかできない看護師だったころのお話。
すべてのものがたりは実体験に基づいていますが、個人が特定されないよう一部脚色をしております。ご了承ください。
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